おはようございます。
2016年も気づいたら終了して時代は2017年なわけですが、未だに年が変わった実感が湧かないなアとかなんとかぼんやり、そんな日々を過ごしています。
文字どおりぼんやり、余りにも生産性のない生活リズムがすっかり定着しつつあって危機感です。ただのニートです。生活習慣の乱れには気をつけよう!
「月一でブログつけよう」って目標が更新4回目(=今回)で潰えました。無能。年末のZ会合作が上がったタイミングでつらつら書こうと思ってたんですけど、生産性皆無ニートなので達成できませんでした。無能。
ふと前に目を向けると就活だとか何とか耳に痛い単語が至るところに落ちてるんですよね。今すぐにでも日常生活の矯正をしないと社会的に滅亡する音がする。
余談はともかく
そんなわけで、Z会合作に思うところがあったっていう話です
ぼくみたいな若輩者が知った口叩くのもアレなんですけど、確かな技術力から織りなされる演出表現には息を呑まざるを得ません。こんなのつくれたらさぞかし楽しいんだろうなあと。
動画見てると2分に一回くらいのペースで「その発想はなかったwww」って"MADつくる側並の感想"をお気持ち表明したくなるんですよね。どこかで見た表現から外れることのいかに難しいことか。
ことに下車MADにおいては"決められたレールをなぞるだけのMAD"が上がりやすいと考えています。
再三槍玉にあげられる雛形MADはもちろんのこと、「2分くらいかけて路線を完走or往復するMAD」って括り……決められたレール……に引っかかるMADも星の数程あると思うわけです、ぼくのMADも大概これだ
最近の下車をみるに、いくつか括りを用意してあげれば殆どがそのどれかに帰着してしまうんじゃないのって、そういう話です
これらのMADにもそれぞれの良さみがあるわけですが、自分の中で括りつけできない"レールから外れたMAD"に出会うとより強く惚れちゃうんですよね。件のZ会合作がその思いを確かなものにしてくれました。
「一般的なMAD作者が下車つくってみた」が脚光を浴びる例もちらほら見受けられるようになってきました。なんで脚光浴びるかって、やっぱりそのMADが括りつけできないからだと思うんですよね。既存の発想に囚われないのでレールから外れたMADができる、評判を呼ぶ。
Z会合作の中ではEvansパートが一番すきです。10秒20秒という短い時間の中にしっかり起承転結が詰め込んであるんですよね。しかもその筋書きがはっきりしていて、誰が見てもわかる。
ところでそういうストーリー性のあるMADって下車ではあんまりないですよね、括りつけできないですよね、レールから外れてますよね
(雑な誘導ですが)そんなわけで、チャンスがあったらストーリー性のある下車を作ってみたいなあと思うわけです、難しそう。ご期待ください、挫折しそう。
<まとめ>
・既存の発想に囚われないMADがすき
・そういうMADが生産できるようになりたい
・たぶん生産できないから誰かつくって
Z会合作ってテーマでもう少し思うところがあるんですけど、思ったより長くなってきたのと何より書くのに飽きてきたんでまたの機会に。